近江天保義民

天保13年(1842年)現在の野洲市三上のあたりにて起こった農民一揆である。野洲・栗太・甲賀郡の農民約4万人が幕府による検地(見分)の中止を要求して、決起し三上村に押し寄せ、幕府が派遣した役人から1人の死傷者もなく10万日の日延期を勝ち取る。
しかし、幕府は近畿では類を見ない大規模な一揆に威信回復のため一揆参加者に熾烈な取り調べを行った。
指導者11名は江戸送りとなった他、千余人の一揆参加者が捕縛され、その中の多くが獄死や帰村後衰弱死したと伝えられている。これら犠牲になった人たちのことを近江天保義民(天保義民)と言う。

当地宇田からも、江戸送りとなった指導者1名(護送中死去)と獄中にて5名が亡くなっている